心が折れそうになったとき

よく、人生には「上り坂」「下り坂」「まさか」の3つの坂があると言いますが、長く生きていると、まれにこの「まさか」に当たることがありますね。

そして、そういうときには、いろいろと悩んで手を尽くしてみるわけですが、それでうまくいったのかと言えば、決してそんなことはなく、ときに心が折れそうになることさえありました。

今にして思えば、そうなる前に、素直に諦めたほうが良かったのかもしれません。

もちろん、「失敗は諦めたから失敗になる」と、世間では諦めないことの大切さが説かれているのも事実ですし、実際、その言葉の通りだったということも多々あるのだろうと思います。

ただ、その一方で、どのようにしても解決することができず、自分の限界や無力を悟ることになってしまうようなことがあるのも事実なのですよね。

 

明けない夜はない

また、この「まさか」に直面したときに、周囲から「明けない夜はない」といった励ましを受けることもありました。

「どんなに悲しいことや辛いことがあっても必ず明日は来るよ」

そうやって自分のことを心配してくれる人がいたことについては、非常に有難かったですし、今でもその人には感謝しています。

ただ、明けない夜の過ごし方まではわかりませんでしたね。

また、夜が明けたのち再び夜が訪れて、闇に包またこともありましたが、恐らく、そんなときには諦めてしまったほうが良いのだろうと思います。

 

「諦める」の語源は「明らむ」

さて、そんな「諦める」ですが、この言葉の語源は、「明らむ」(明らかにする)であると言われているそうです。

「諦める」という言葉は、「願い叶わず仕方なく断念する」といったネガティブな意味で受け取られることが多いと思いますが、本来の「諦める」の意味は、「明らかに観る」という、どちらかと言えばポジティブな意味なのですね。

物事の在り様をありのままに見ることで、その本質を明確にし、執着なく気持ちを切り替えましょうというのが、本来の意味の「諦める」ではないかと思います。

 

「逃避」「挫折」「意味」

もちろん、「諦める」ということは、ある意味で「逃避」であり、またある意味では「挫折」だろうと思います。

ただ、そういった状況の中でも、何かしらの「意味」を見出せるのが人間の良いところでもありますし、そうやって感じた「意味」は、いつか必ず自分の人生にとって役立つものになると思います。

自分自身の成長のためには、ときに「諦める」ことも必要なのだろうと思いますね。

 

過去は未来の飛躍への契機

また、過ぎ去ってしまった過去は受け入れるしかありませんが、唯一できることがあるとすれば、それは過去の体験を現在や未来に活かすことではないかと思います。

現在どのくらい充実した日々を過ごせているでしょうか。

未来にどのくらい希望を抱いているでしょうか。

過去の体験から現在の自分の生き方を見直し、また、過去を未来の飛躍への契機にすることが大切だろうと思います。

そして、心が折れそうになったとき。あるいは、心が折れてしまったときは、こんなことを考えてみると、多少なりとも気持ちが和らぐのではないかと思います。