昭和時代の名物社長

皆さんは名物社長という言葉を聞いて、誰を思い浮かべるでしょうか?

自分は、「スーパーアキダイ」の秋葉弘道社長や、「ジャパネットたかた」の高田明社長が思い浮かびます。

お二人ともテレビへの露出度は高いですし、商才もありますし、また、その親しみやすい語り口や表情なども非常に魅力的ですからね。自分と同じように、このお二人を思い浮かべた方もいらっしゃるのではないかと思います。

ただ、お二人よりも少し前の時代の名物社長となると、自分は「城南電機」(正式には信光電機)の宮路年雄社長や、「光輪モータース」の若林久治社長が思い浮かびますね。

このお二人もテレビへの露出度が高く、また、昭和の時代のオヤジさんといった感じで、個性あふれる方でした。

 

日本一の安売り王と言われた宮路年雄社長

1928年に和歌山県で生まれた宮路年雄社長は、地元の工業高校を卒業した後、1955年に上京。そのときに上野のバッタ屋と知り合ったことで、家電の安売り事業に出会うことになったそうです。

そして、1961年に家電品卸業の信光電機有限会社を創業し、1968年には同社の小売部門(家電量販店)である城南電機1号店を出店。「現金払い、返品なし、まとめ買い」で商品を安価に仕入れることで、「日本一安い城南電機」(同店のキャッチフレーズ)を実現しました。

また、仕入れが「現金払い」のため、宮路社長はいつも多額の現金が入ったカバンを持ち歩いていたそうなのですが、それが原因で強盗に遭うこと2回。泥棒に遭うこと6回という記録を持っているということでした。

ユニークなキャラクターで知られていた宮路社長ですが、こんなところでもユニークだったようですね。

特に強盗のほうは身の危険を感じたと思うのですが、それにもめげずに商売のスタイルを貫いたところはすごいと思います。

また、家電をまとめ買いするわけですから、結構な額の現金を持ち歩いていたのだろうと思いますが、被害額がどのくらいだったのかは気になるところですね。

 

国産米安売り騒動

また、1994年には、秋田県ヤミ米を大量に仕入れ、それを赤字廉売したこで食糧庁から行政指導があり、宮路社長は世間から注目されました。

この年は、前年の記録的な冷夏の影響で全国的に米不足で、米騒動と言われる社会現象が起きていたのですが、宮路社長なりの考えがあってヤミ米の赤字廉売に踏み切ったようで、行政指導に対しても強気の姿勢を貫いていましたね。

ふつうなら、役所と揉めるようなことは避けると思うのですが、宮路社長は違っていたようです。

 

宮路社長の死去による廃業

そして、1998年5月、宮路社長は肺炎のため緊急入院し、69歳の若さで死去しますが、城南電機仕入れ業務が宮路社長の属人的業務になっていたことや、死去により資産が凍結されたことなどから仕入れが滞り、わずか一か月で城南電機は廃業に至りました。

「花はいい時に散るもんや」「人間、惜しまれて散るうちが花や」が宮路社長の口癖だったといった話しもありましたが、この言葉通りの最期だったような気がします。

 

上野のモンスターと呼ばれた若林久治社長

自分が売り払ったバイクが、その数分後に高値で転売されたことに衝撃を受けた若林久治社長は、1959年に光輪モータースを創業し、一代で事業を拡大します。

そして、最盛期には売上高約94億円を計上するまでに成長しましたが、その経営手法は独特で、名物社長としてメディアで取り上げられることもあった反面、批判を受けることもあったようです。

若林社長は、店内各所にカメラを設置し、社長室から従業員の様子を監視して、何か問題があれば、客がいてもおかまいなしに店内放送で従業員を叱責していたそうなのですよね。

こうした行為は、パワーハラスメントの可能性がありますし、客商売でそれは如何なものかとも思いますが、これが若林流だったのでしょう。今の時代だったら許されないと思いますけどね。

そして、そうした経営が続く中、オートバイの販売台数が減少し始め、それにあわせて光輪モータースの売上高も減少。2008年に負債総額約161億円で破産するという結果に終わりました。

 

ヴィンテージバイクの収集家

また、若林社長は、ヴィンテージ物のバイクを多数所有していたそうで、将来、博物館を作ってそれらを公開することを夢見ていたようですが、2010年に不慮の交通事故で急逝し、その夢が叶うことはありませんでした。

ただ、博物館への展示という夢は叶わなかったものの、若林社長が急逝した翌年には展示イベントが開催され、「CORIN COLLECTION」というタイトルの写真集も出版されたそうなので、これについては亡くなった若林社長も喜ばれたのではないかと思います。

なお、若林社長が所有していたヴィンテージバイクは、すべてオークションで売却され、新しいオーナーのもとで愛され続けているようです。