人を見る時は肩書きや経歴を全部取り払って、その人自身がどういう人間なのかを見ないといけない
人間はできるだけ早くから、良き師、良き友を持ち、良き書を読み、ひそかに自ら省み、自ら修めることである。人生は心がけと努力次第である
哲学者であり思想家であり、また、昭和最大の黒幕と評された安岡正篤氏(1898-1983年)の言葉だそうですが、為になる良い言葉ですよね。
ただ、黒幕と評された人物がこうした言葉を残したことについては、違和感を感じるという方も少なからずいらっしゃるような気もします。
黒幕という言葉には、立場や財力を武器に裏で糸を引いて私腹を肥やしている悪人といったイメージがありますからね。
ただ、安岡氏に関して言えば、人徳者としての影響力の強さから黒幕と評されることが多かったようですので、もし違和感を感じたのであれば、それは言葉のイメージからからくる誤解だろうと思います。
黒幕という言葉はもともと歌舞伎用語だそうで、黒い幕には「見えない」という約束事があったようなのですが、そこから転じて、舞台裏で影響力をもつ興行主などの存在を指す言葉になり、そこに黒色のイメージが重なって現在の意味になったようですからね。
人徳者である安岡氏に対して黒幕という言葉が使われる場合は、「影響力を持つ」という意味の黒幕と理解するほうが良さそうです。
安岡正篤氏のエピソード
さて、そんな安岡正篤氏ですが、安岡氏に関するエピソードとして有名なのが、以下の話しではないかと思います。
首相就任からほどなくして訪中した田中角栄氏に対し、周恩来首相が「言必信行必果」と書かれた色紙を贈呈しました。
この言葉は、角栄氏の人物像(嘘を言わず行いも清い)に対する周首相の評価だったようですが、一見、素晴らしい人物評価に見えます。
そのため、日本のマスコミも、この色紙を「日中友好の絆」として大いに持ち上げたわけですが、それについて一人嘆いた人物がいたのですよね。
その人物こそが安岡正篤氏でした。
安岡氏は、「言必信行必果」という言葉が論語の人物評の一片であり、その言葉の後ろに「小人」という言葉があることを知っていたのですね。
「言必ず信、行必ず果、これ小人なり」
この言葉の意味は、「言うことは偽りがなく、行うことは潔い人物は、必ずしも大人ならず、むしろ小人に近い」ですが、角栄氏に対してこの言葉が贈られたということは、日本国の首相が揶揄されたということに他ならないわけで、それを安岡氏は嘆いたわけです。
歴史に「たら・れば」は禁句であると言われていますが、色紙の贈呈時、もし安岡氏のような人物が角栄氏に同席していれば、今日の日中関係はずいぶん違ったものになっていたのではないでしょうか。
また、安岡氏は、「平成」という元号の名付け親とも言われていますが、これについては、肯定する意見もあれば否定する意見もあって、真相はよくわからないのですよね。
安岡氏は改元の数年前に亡くなっていますので、この話しが本当であれば、かなり前から元号が決まっていたか、もしくは元号の候補が決まっていたことになりますが、そういうことがあるのかすらもわかりませんし…
記憶に残る3人の昭和の黒幕
また、安岡氏の他にも、昭和の黒幕と評された人物は多数いましたが、その中でも特に悪く言われることが多かったのが、児玉誉士夫氏、小佐野賢治氏、笹川良一氏の3人ではないかと思います。
ただ、これもマスコミから悪く言われていたというだけで、実際がどうだったのかはよくわからりません。
また、3人が話題になっていた当時は自分も子どもでしたので、3人について記憶に残っているのは、以下のようなことくらいです。
児玉誉士夫氏
「児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件」と呼ばれているようですが、1976年(昭和51年)、児玉誉士夫氏の私邸に小型航空機が突入した自爆テロ事件があり、大騒ぎになったことがありました。
事件を起こしたのは29歳の俳優の男で、撮影用に借りていたセスナ機で児玉氏の私邸に突入したのですね。
突入によりセスナ機は爆発炎上し、俳優の男は亡くなりましたが、児玉氏は突入現場から20メートル離れた部屋にいたそうで無事でした。
小佐野賢治氏
小佐野氏については、ロッキード事件のときに国会で証人喚問を受けた人という印象しかないですね。
証人喚問の際、小佐野氏は何度も「記憶にございません」(実際は「記憶はございません」だったような気もします)と発言していたのが印象に残っています。
否定も肯定もしないというのは、良い戦術だったかもしれませんね。
笹川良一氏
笹川氏については、「戸締り用心、火の用心♪」という、曜日によって歌詞が変わる歌が流れるテレビCMに出てくるお爺ちゃんという印象しかありません。
CMの最期に、「世界は一家、人類みな兄弟」「一日一善」と、笑顔で声を張り上げていたのが印象的でした。