忘年会も仕事のうち

もうすぐ忘年会シーズンですね。職場で忘年会のお知らせが回ってくると、「ああ、もうそんな時期なんだなあ」という気持ちになります。

 

幹事は下っ端の仕事

たぶん、どの会社でもそうではないかと思いますが、自分の勤め先では、職場の忘年会の幹事は下っ端の仕事になっているので、自分も若い頃は何回か忘年会の幹事をやらされましたね。

まあ、会社としては、「忘年会の幹事の仕事を通して、段取りの仕方や調整の仕方を勉強しなさい」ということなので、乗る気はしなかったものの、「これも仕事のうち」と思ってやっていました。

ただ、他人に対して何か言うのはあまり好きではないので、段取りや調整はともかく、場を仕切るようなことは嫌いでしたし、仕事ということなので仕方なくやってはみたものの、やはりうまくはできなかったですね。

何となくですが、こういうところは向き不向きがあるような気がします。練習すれば多少はできるようになるのかもしれませんが、可能であれば、向いている人にやってもらったほうが良さそうです。

 

幹事が最初にすべきこと

また、忘年会の幹事には、「日程調整」「参加人数の集計」「お店探し」「お知らせの作成と配付」「当日の挨拶のお願い」など、そこそこの量の仕事がありますが、よく言われるのは、「最初に計画を立てる」ですよね。

これは忘年会に限った話しではないと思いますが、ちゃんとしたイベントを開催するには、まともな計画が必要ということなのだろうと思います。

ただ、計画も大事ですが、それよりも大事なのが、「前任者の話しを聞く」ではないかと思いますね。

上司から「幹事をやれ」と言われたときも、「まずは前任者の話しを聞いてこい」と言われましたし、やはり、経験者の話しは聞いておいて損はないと思います。

例えば、どの職場にも「酒の席になるとふだんと変わる」ような人がいると思いますが、そういったことは、実際に経験してわかっている人に聞かないと、見落としてしまいますからね。

こういった職場に埋まっている見えない地雷を踏むことは、サラリーマンにとってダメージが大きいので、あらかじめ把握しておいたほうが良いわけです。

 

マネジメントサイクルが必要

そして、前任者の話しを聞いて大凡の事が把握できたら、計画を立てて、それに従って準備して、本番をこなして、終わったら振り返るという、マネジメントサイクルに沿って進めることになりますね。

これはいわゆるPlan・Do・Seeですが、それが仕事に役立つので、忘年会の幹事の仕事が下っ端に回ってくるのだろうと思います。

まあ、小さい職場であれば、行き当たりばったりでやっても問題ないと思いますし、実際、そんな感じで忘年会をやっているところもあるとは思いますが、多少規模が大きい職場になると、さすがに行き当たりばったりではまずいですからね。

忘年会を滞りなく実行し、参加者の皆さんにご満足いただくという目標を達成するには、マネジメントサイクルが必要だろうと思います。

 

構造的アプローチも大切

ということで、忘年会の幹事の仕事は良い経験になると思います。

「何かをするときには計画を立てる」という習慣が身についたのも、忘年会の幹事をしたことがきっかけだったような気がしますし、そういう習慣がつくと、Structured  Approachと言うのですかね?

全体的に考えるというか、問題や課題に対して、体系的で論理的な手順を踏んで解決していこうと考えるようになりますので、その点も良かったと思います。

全体的に一貫性のある構造を持つ(体系性)、論理的思考による問題分析で解決策を導く(論理性)、同じ手順を踏むことで同じ結果になる(再現性)、非効率な部分を排除する(効率性)といったところが、論理的アプローチの良いところですからね。

まあ、忘年会の幹事の仕事で構造的アプローチが必要になることはないと思いますが、こういった考え方ができると、問題点が明確になって効率的な解決策が見つかるようになると思います。

 

忘年会も様変わり

さて、忘年会の幹事の仕事についてはこんな感じですが、自分が若い頃は強制参加だった忘年会も、今では任意参加になるなど、忘年会も様変わりしましたよね。

ただ、それはそれで良かったのではないかと思います。いくら職場の行事とは言っても、お酒の席への参加を無理強いするのは良くないと思いますし、家庭の事情で参加が難しい人もいますからね。

もちろん、「飲みニケーション」(お酒の席でのコミュニケーション)を否定するつもりはありませんが、それだけがコミュニケーションではないと思いますので、お互いに負担にならない方法にしたほうが良いと思います。

コミュニケーションはこうあるべきだと言っている時点で、コミュニケーションにはなっていないような気がしますし、若い人がお酒の席を嫌うのも、そういうことが理由の一つになっているような気がしますので…