いい人生やったぁ

ある程度の年齢の方であれば、70年代の終わりから90年代の初めにかけて、「竹村健一の世相を斬る」というテレビ番組があったのをご存じではないかと思います。

パイプをくわえた風貌と、「だいたいやね」から始まる辛口コメントで知られた評論家の竹村健一さんが司会を務め、ゲストとともに政治や経済、社会や文化について論じる討論番組で、竹村さんの見識の広さや独特の口調、的確な評論が魅力的でした。

ただ、自分が竹村さんのことで一番印象に残っているのは、80年代の初め頃に放送されていた、某社のシュレッターのテレビコマーシャルなのですよね。

背広姿で椅子に腰かけた竹村健一さんが、トレードマークのパイプと紙の資料の束を手にして、

「資料やら情報やら抱えてねえ、やってるのいるでしょ」

「ああいうやつに限ってね、時間の使い方ヘタ、会議のやり方ヘタ、電話長電話、人の使い方ヘタ」

と語り、資料の束を投げ捨て、背広の内ポケットから紙の手帳を取り出して、

「僕なんかはね、これだけ、これだけでこうやってるんですよ」

と話しを締めくくったところで商品が紹介されるという流れでしたが、このコマーシャルの印象が強くて、竹村健一さんと聞くと「これだけ手帳」という言葉が思い浮かぶようになりました。

 

人生に必要な情報を取捨選択する

今の時代、紙の手帳を使う方は少なくなっていると思いますが、個人的には、紙の手帳も悪くはないと思っていますし、実際、自分は今も紙の手帳を使っています。

もちろん、

「今どき手書き?」

「わざわざ書き写すの?」

といった意見もあると思いますし、それはもっともな意見だとも思います。

確かに、

「手帳に書き写すのは面倒くさい」

ですからね。

ただ、面倒くさいからこそ、

「自分に必要なことだけを書き写す」

ようになるわけで、こうした取捨選択の手間が入ることが、紙の手帳を使う最大のメリットではないかと思います。

また、情報過多と言われる時代に必要なのは、こんな感じで行う情報の選別ではないかという気がするのですよね。

多くの情報に埋もれながら人生を過ごすのか、自分に必要な情報だけを手にして人生を過ごすのかによって、その人の人生も随分と違ったものになると思います。

 

やりたいことをやるという生き方

また、武村健一さんは、生前に以下のようなことを語っていました。

私の人生は文字通り、まず自分のやりたいことを、人に迷惑をかけない範囲でやるということだった。

偶然それが大変うまくいったのだが、まずそれが一番肝心なことだと思う。

何しろ一度しかない人生だ。

まずは、毎日が自分のやりたいことをやっている、充実した人生だったと思える生き方をしてもらいたいものだと思う。

人間いつ死ぬかわからない。

「ああ、あれをやっとけばよかった。あいつにこういえばよかった」と後悔して死ぬよりは、そのほうがよっぽどいいのではないだろうか。

 

竹村さんの長男によれば、「仕事はもちろん、テニスやスキー、ダイビングやピアノなどでも忙しくしていて、過去を振り返ることがそれほどなかったのが印象的でした」とのことで、亡くなる数年前には、「いい人生やったぁ」と、満足げにゆっくりつぶやいたこともあったそうです。

 

始めるのに遅すぎることはない

また、竹村健一さんは、50歳のときにテニスを始め、57歳でスキー、58歳でスキューバダイビングを始めたそうです。

よく、始めるのに遅すぎることはないと言いますが、竹村さんも、そういった考えで人生を過ごしていたのかもしれませんね。

また、竹村さんは、「適度に楽観的であれ」を信条としていたそうで、何ごとも60点主義であり、毀誉褒貶も気にしていなかったようです。

そんな竹村さんの人生は、見栄を張ることもなく、気負いすることもなく、ただただ無欲恬淡に手当たり次第のことをやってきたという人生だったのかもしれませんね。