劣等感の正体と対応方法

誰しも嫌な夢を見て目が覚めるということはあると思いますが、ごく稀に、子どもの頃の嫌な記憶が蘇るような夢を見ることがあって、人は随分と昔のことまで覚えているものなんだなあという気持ちになります。

また、今朝も50年近くも前の嫌な出来事が夢に出てきて目が覚めたのですが、こんな感じで古い出来事が夢に出てくるときは、不思議と嫌な出来事なのですよね。

子ども時代に楽しい出来事が無かったわけでもないのですが、寝ているときに見る夢というのは、こういうものなのですかね?

 

劣等感は夢に出やすい?

子ども時代と言っても、主に小学校の低学年の頃なのですが、運動音痴というのですかね。動きが鈍いというか、勘が悪いというか、ドッチボールで最初にボールを当てられるタイプだったので、当時はわりと馬鹿にされていたのですよね。

小さい子どもって、良くも悪くもストレートな表現をするので、ちょっと鈍くさい動きをしただけでも、かなり強い口調で文句を言われることがあって、そういうのがすごく嫌でした。

まあ、ドッチボールはチーム戦ですからね。勝つ気満々でやっている人からすれば、同じチームにいる鈍くさい、やる気があるのか無いのかも分からないような自分のようなタイプは、足手まといで目障りだったのだろうと思います。

ただ、その一方で、道徳の授業で教わったようなことをストレートに言うタイプもいて、そんなときに自分に代わって言い返してくれるので、そういうバランスの中で、仲間外れにされることもなく過ごせていました。

当時は、誘われたから楽しく遊ぶというよりは、誘われたけど何となく嫌だなあとか、誘いに乗るのは気が引けるなあといった感じでしたね。一言で表現するなら「劣等感があった」ということかなあ…

 

劣等感の正体

で、その劣等感ですが、この言葉を辞書で引くと、「他者や理想の自分と比べて、自分の現状が劣っていると感じる感情」と出てきます。

まあ、辞書に書かれていることなので、「確かにその通りですね」という感じですが、ここで注目すべきは、「比べて」と「感じる」の二つの言葉ではないかと思います。

要は、比べるのは誰か、感じるのは誰かということですが、ここに劣等感の正体があるような気がします。比べるのも感じるのも、どちらも自分自身がやっていることなのですよね。

なので、そもそも比べなければ劣等感という感情が生じることもないわけですし、比べても気にしなければ、やはり劣等感を感じることはないわけです。

もちろん、そのあたりは本人の性格や気質もあるでしょうし、環境的な要素もあると思いますので、「100%比べない」「100%感じない」というのは無理だろうと思います。

 

劣等感への対応方法

だた、100%は無理でも、ある程度のコントロールはできると思いますし、それをするだけで、劣等感に悩まされる度合いも変わってくるような気がします。

まあ、心理的なことですので、スタンダートな対応方法としては、「劣等感という感情に気づく」「劣等感の元(原因)を探す」「劣等感を受け入れる」の三段階でしょうね。

対応するモノに気づけないと対応できないですし、原因不明でも対応しようがないですし、劣等感があるという事実を否定するのも大変ですので、こんな感じで、劣等感のある自分を認めましょうというやり方は妥当だと思います。

ただ、もう少し強気に行くというか、ストレートなやり方をするなら、「必ず勝てるもので比べる」か、「ハナから比べない」という二者択一が良いかもしれませんね。

世の中には、優劣をつけないと気が済まないという人もいると思いますし、そういう人に比べるなと言ってもできないと思うので、そういう場合は、負けないところで勝負することを考えたほうが良いと思います。

また、そこまで優劣に拘りがないということなら、最初から比べないのが一番だと思います。実際のところ、比べる必要があることや、勝ち負けを決めないといけないことって、それほどないと思いますし…