恥をかけるようになると楽に生きられる

学生のときに、西洋は「罪の文化」で日本は「恥の文化」といった話しを聞いたことがあるのですが、この話しは、当たらずといえども遠からずではないかという気がしますね。

日本人には、世間体を気にする人や恥をかくことを嫌う人が多いのではないかと言われていますが、その根底には「恥の文化」があるのだろうと思いますし、そうであるからこそ、日本は秩序ある安心で安全な国なのだと思います。

 

本音と建前、理想と現実

ただ、世間体を気にすることや、恥をかくことを嫌うということは、他人の目を気にして同調圧力の中で過ごすということでもありますので、そこが負担になっている人も少なからずいるような気がしますね。

例えば、「本音と建前は使い分けたほうが良い」とは言うものの、「使い分け」を自分で決められることは少なく、本音を言いたくても言えない。綺麗事だとわかっていても建前を言わざるを得ないということは、そこそこあると思います。

また、暗に「理想の自分になる」ことを要求されるということも、それなりにあると思うのですよね。理想の自分を目指すことが悪いとは言いませんが、それよりは、現実を現実として受け止めるほうが良いような気もします。

そして、恐らく一番負担になるのが、「恥をかけない」ということではないかと思います。一般的に、恥をかくとネガティブな感情になりますので、その意味では、恥はかかないほうが良いのだろうとは思いますけどね。

 

聞くは一時の恥、旅の恥は掻き捨て

ただ、「聞くは一時の恥」という言葉があるように、恥ずかしいのはその時だけですから、最初から素直に聞いてしまったほうが良いということもあると思います。

それに、そもそもの話し、他人に何かを尋ねることが悪いわけではないですからね。「無知は罪」という言葉もありますが、無知が悪いのではなく、無知を取り繕うことが悪いわけですし…

また、「旅の恥は掻き捨て」という言葉もありますが、旅先で羽目を外して他人に迷惑をかけることは良くないというだけで、ふだんと違った体験をして恥ずかしい思いをするのが良くないということでもないですし…

むしろ、ふだんとは違った旅行という体験の中で、ふだんはやらないようなことをしてみて、例えそれで恥をかいたとしても、それはそれで良い思い出になると思います。

 

大切なのは恥をかいたあと

また、そう考えると、恥をかくことを恐れて行動しないよりは、思い立ったら行動してみて、恥をかけるようになったほうが、楽に生きられるのではないかという気がしますね。

ちょっとやり過ぎたかなあとか、ちょっと言い過ぎたかなあといったことがあれば、そこは反省して次に活かせば良いわけですし…

それに、周囲にいる人。特に自分が知らない人は、意外と他人の失敗を気にしていないと思いますので、恥をかいても、それほど気にしなくても良いと思いますよ。

これは性格にもよると思いますので、誰もができるということでもないと思いますが、恥をかいた経験を笑い話しにできるくらいになったほうが、人生は幸せだと思いますね。