日本人の国語力の低下がたびたび話題になっていますが、PISA(国際的な学力調査)での順位の変化を見ると、低下と回復の波を繰り返しているように見えますね。
悪くなる一方ということではなさそうですが、国語力の低下は社会に影響を及ぼすという指摘もあるようですので、その動向については、注意深く観察したほうが良いのかもしれません。
日本語は難しい
よく、「日本語は相手と『場』を共有することで成り立っている言語」と言われますが、これが日本語の難しいところですよね。
「話し手と聞き手が同じ状況や文脈を共有していることが前提」なので、主語が省略されることが非常に多く、それが原因で、「誰のことか」や「何を指しているか」が不明瞭になりがちです。
また、日本人は空気を読むことを重要視するので、聞き手の表情が変われば、たいていは話し手の話し方も変わるのですが、聞き手も空気を気にして表情を変えないところがあるのが厄介なところです。
そして、これも空気を読むからだと思いますが、「相手が言外の意味を察してくれることを期待」して、曖昧な表現や遠回しな言い方をする人がそこそこいるというのも厄介ですよね。
どのくらいの割合かは分かりませんが、「伝わったつもり」「理解したつもり」ということも、わりとあるのではないかと思います。
語彙の少なさと抽象的な言葉の多用
ただ、このあたりのことは今に始まった話しではないですし、特にビジネスの世界では、そうした問題があるという前提で会話が進むと思いますので、大きな問題にはなりづらいでしょう。
それよりも、子どもたちの「語彙の少なさ」や、「ウザい・エグい・キモい・ヤバい」といった「抽象的な言葉の多用」のほうを心配したほうが良いかもしれませんね。
語彙が少なく、抽象的な言葉で会話が進めば、自分の考えや気持ちを表現(言語化)できないでしょうし、そうなるとコミュニケーションがうまくいかず、友達関係(人間関係)も悪くなってしまうと思います。
子どもたちにとって、何が不満で、どうして欲しいのかがうまく言えないというのは、わりと深刻な問題だと思うのですよね。
そんな状態では、家庭にも学校にも自分の居場所がないということになってしまうでしょうし、それが生きづらさにもつながってしまうと思います。
たぶん、「気分が悪い」とか「癪に障る」、「腹が立つ」ということがあっても、何が原因なのかが言葉で説明できないから、「ウザい」といった一言で済む表現になってしまうのでしょうけどね。
言葉というよりは音による会話
まあ、「言葉による会話」というよりは「音による会話」ですよね。
もちろん、その場のノリも大事ですし、堅苦しい言葉ではなく、音として響きの良い言葉で話すというのもノリだと思いますので、一概に悪いとは言えませんけどね。
ただ、何がウザいのかとか、誰がウザいのかについては、周囲に明確に伝わらないと誤解を生むでしょうし、喧嘩やトラブルの原因にもなりかねませんので、そういう言葉には主語をつけたほうが良いと思います。
また、なぜウザいのかという原因が説明できるくらいの語彙力を持っていたほうが良いと思いますね。
何となくですが、問題を起こしやすい人は、自分の感情に対する言葉のボキャブラリーが少ないように感じるのですよ。
たぶん、語彙が少ないと、想像力が働かないとか、働きにくくなるといったことがあるのではないかな…
もちろん、絶対にそうだとは言い切れませんが、少ないボキャブラリーで相手の意図を想像するので、誤解が生じやすいというのはあるような気がします。
あるいは、自分の意に反した行動をした人に対して、「何か事情があったのかもしれない」といった考え方ができないとか…
妄想が膨らむという表現が適当かどうかは迷いますが、こんな感じになりやすい人の特徴の一つが、語彙の少なさのような気がしますね。