お金にまつわる言葉に、「生き金」と「死に金」という言葉があります。
相手の心をつかむことができるお金の使い方や、新たな価値を生み出すお金の使い方が「生き金」で、無意味な使い方や無駄な使い方をしてしまったお金が「死に金」ですが、お金を使うのであれば、どうせなら生きたお金の使い方をしたいものですよね。
また、お金は使い方次第で価値が変わります。そのため、金額の大小ではなく、それがどのような効果をもたらしたかが大切だろうと思いますが、そうしたことを学ぶには、田中角栄元首相のお金にまつわるエピソードが役立ちそうです。
この金は返す必要はない
田中角栄氏については、金権政治の象徴であるかのような評価がある一方、お金の使い方については評価する声も多いようで、そんな田中角栄氏のお金にまつわるエピソードで有名なのがこの話しです。
あるとき、田中角栄氏と覇権を争っていた別の派閥に所属していた国会議員が、女性問題を起こし、その解決のために急いで100万円を用意しなくてはならなくなりました。
そこで、その議員は、自分の派閥の親分に借金を申し込みに行ったのですが、相手にしてもらえず、お金を用意することができませんでした。
困った議員は悩んだあげく、田中派にいる自分と同期の国会議員に相談したところ、すぐに田中角栄氏との面談が決まり、急ぎ、目白の田中邸に向かいました。
田中邸に到着した議員は、すぐに田中角栄氏に事情を説明しますが、話しが半分くらいまで進んだところで、田中角栄氏から「いくらいるんだ?」と問われます。
それに対して議員が「100万円です」と答えると、田中角栄氏は、横に置いてあった段ボール箱から300万円取り出し、ポンと手渡してくれました。
そして、それに驚きを隠せない議員に対し、田中角栄氏は以下のような言葉をかけたということです。
「300万円ある。100万円で問題にケリをつけろ。もう100万円でこの件で世話になった人にうまいものでも食わせてやれ。残りの100万円は何かあったときのためにとっておけ。この金は返す必要はないぞ」
田中角栄流の生きたお金の使い方
この話しは、いろいろな人によって語り継がれているためか、話しによっては、議員が田中邸に到着すると田中角栄氏は留守で、代わりに紙袋に入った300万円と手紙が用意されており、その手紙の内容がこの話しの通りだったとされている話しもあるようです。
ただ、そうした話しの違いはあっても、田中角栄氏が300万円でこの国会議員の心をつかんだことは事実でしょうし、一票の国会議員票という田中角栄氏にとっての新たな価値を生み出したことも事実だろうと思います。
また、その意味で、この300万円はまさに「生き金」であり、こうしたお金の使い方ができるのが、田中角栄氏だったということなのでしょう。
田中角栄氏は、雪深い片田舎の貧しい農家に生まれ、人一倍お金の苦労をしてきたと言われていますが、そうした苦労があったからこそ、お金に困っている人を見捨ていることができなかったのかもしれませんが、いずれにしても、これが田中角栄流の生きたお金の使い方なのだろうと思います。
もちろん、返す必要がないとした時点で、この300万円は金銭貸借ではなく贈与になりますので、そのまま終わらせれば税金の問題が生じるため、この話しを批判しようと思えば批判できるとは思います。
ただ、そうしたことを感じさせないくらいに鮮やかなお金の使い方だったことも事実であり、そのため、田中角栄氏の人柄を語るエピソードとして、後世に語り継がれているのではないでしょうか。
当時の政治と金の関係
さて、そんな田中角栄氏ですが、官僚出身でもなく学歴もない角栄氏が、政界でのし上がるために莫大なお金を使っていたのは確かでしょうね。
角栄氏が政治家だった当時は、政治家個人が受けた献金には届出の義務がなく、企業からの献金も認められていましたので、帳簿に載らない裏金も含めて、特に与党の議員には多くのお金が集まっていたと思いますし、角栄氏も例外ではなかったと思います。
そして角栄氏は、そうやって集まったお金を、自分の派閥の議員はもちろんのこと、他派閥の議員や野党議員にも渡していたようで、それもあって総理大臣にまで上り詰めたのだろうと思います。
ただ、その一方、角栄氏が豪奢な生活を極めていたといった話しはなく、目立つものと言えば目白の大邸宅くらいで、私腹を肥やすという言葉とは遠い存在だったのも事実だろうと思います。
ロッキード事件を機に金権政治家の烙印が押されたものの、角栄氏のお金の使い方は、世間が言うほど汚いものではなかったのかもしれませんね。