ゼロサム思考というほどではないにしても、物事を「勝ち負け」の二元論で捉えてしまうようなことってありますよね。
もちろん、そういった捉え方が100%悪いということではないと思いますが、人生そのものを「勝ち負け」で考えてしまっているかのような生き方は、ちょっと極端というか、行き過ぎではないかと思いますね。
今の社会は競争社会
ただ、今の社会は競争社会ですからね。
望むと望まざるとに関係なく、受験で競争して、就職で競争して、昇進で競争して、場合によっては、恋愛でも結婚でも競争して…と、人生のあらゆる局面で競争に直面するわけです。
限りがあるものに対して、自分と同じものを求める人がいれば、自然と誰かと競り合うことになりますからね。
こういう表現が適当かどうかは分かりませんが、リソースの奪い合いといった感じでしょうか?
そして、競り合う以上は、その競争に勝たなければ、手に入れたいものが手に入らわいわけですから、その結果、「勝ち負け」に拘らざるを得ない…ということになってしまうわけです。
もちろん、勝利を目指す過程で自身が成長するということもありますし、勝利したらしたで、それが自信や達成感といったものにつながると思いますので、そう考えると、競争するのも悪くはないのかなあ…とは思います。
ただ、何でも競争すればいいということでもないと思うのですよね。
どんな人にも長所もあれば短所もありますし、強みのあれば弱みもありますので、常に競争に勝てるわけではありませんし、そうである以上、ときには勇気ある撤退も必要だろうと思います。
勝ち負けに囚われない生き方
また、もう一歩進んで、勝ち負けに囚われない生き方をするという選択肢もあると思います。
勝った負けたで一喜一憂する人生よりも、「今の自分は過去の自分よりも成長しているか」という一点に集中する人生のほうが、有意義でしょうからね。
それに、望まない競争に駆り出され続ける人生。あるいは、勝てないとわかっている競争に縛られ続ける人生よりも、そういった人生のほうが、幸福感や満足感も高いでしょうし…
また、世の中には、すぐにマウントを取りたがる人たちや、何かと比較してくるような人たちもいて、そういう人たちに出会ってしまうと、知らず知らずのうちに競争に巻き込まれてしまうこともあるわけですが、そういうときは、「自分の負けです」で終わらせてしまうのが良いと思います。
そんなところで競争しても疲弊するだけですからね。
逃げたもん勝ちですよ。
ふつうに考えれば、「逃げる」ことは「負け」ることですが、無駄な競争であるとわかっていながら勝つことに執着するほど無駄なことはありませんので…
それに、本当に賢い人は、なるだけ他人と競争することは避けて、できるだけ良好な関係を築こうとすると思いますし、その意味では、マウントを取ろうとする人も賢くないのでしょうし、マウントを取られまいとする人も賢くないのだろうと思います。
本当の賢さというものは、知識の量とかではなく、自分がどのように生きるのかとか、他人とどのように関わるのかに現れるような気がするのですよ。
「勝ち負けに囚われない生き方」をするのも賢さではないですかね?