「内閣総理大臣指名選挙」が正式名称ではないかと思いますが、近く開催される国会で行われる「首相指名選挙」(首班指名選挙)に関する報道が増えていますね。
1.衆議院で内閣不信任案が可決または内閣信任案が否決されて10日以内に衆議院が解散されないとき
2.内閣総理大臣が欠けたとき
3.衆議院総選挙のあとに初めて国会が召集されたとき
のいずれかの場合に内閣は総辞職しますが、その後に行われるのが「首相指名選挙」で、今回は3.の理由で石破内閣が総辞職することにより行われますが、30年ぶり5例目の決選投票になるというのが大方の見方のようです。
首相指名選挙は、
a. 各院で記名投票を行い、過半数の票を得た議員がその院の指名者になる。
b. 過半数の票を得た議員がいない場合は決選投票を行い、多数決で決める。
のように行われますが、自分が所属している政党の党首や代表に投票するのがふつうで、また、たいていの場合は与党が過半数の議席を確保していますので、a.の手順で終わるのが通例ですが、今回は事情が違いますからね。
先日の総選挙で惨敗した与党は過半数割れし、野党の結束も今一つといった感じなので、1回目の投票では決まらず、30年ぶりの決選投票になるというわけです。
ただ、今の状況からすると、最終的には石破さんが指名されることになるでしょうね。
石破さん以外の人が指名されるには、ある程度の数の与党議員の造反が必要ですが、石破さんに対して恨みがあっても、下野してまで造反しようと思う人はまずいないと思いますし…
また、石破さんの決選投票の相手は野田さんになると思いますが、野田さんが優勢という話しも今のところ出ていませんからね。政権交代のチャンスではありますが、それを活かせずに終わりそうです。
ただ、仮に野田さんが指名されると、石破さんは歴代内閣総理大臣の中でもっとも在職日数が短い人物ということになってしまいそうですし、そうなると、衆議院を解散するためだけに総理大臣になった人物といった評価にもなってしまいそうですよね。
まあ、そういうことにはならないと思いますが…
首相指名選挙で決選投票になった事例
さて、そんな結果に終わりそうな今回の首相指名選挙ですが、その前に、過去に決選投票になった4例をまとめてみました。
1例目 (1948年,昭和23年)
民主自由党の吉田茂氏と日本社会党の片山哲氏の決選投票で、吉田茂氏が首相に指名されたのが1例目です。
当時、吉田茂氏は第45代内閣総理大臣で、片山哲氏は第46代内閣総理大臣でしたが、その2人が、第48代内閣総理大臣の座を争って決選投票になりました。
2例目 (1953年,昭和28年)
自由党の吉田茂氏と改進党の重光葵氏の決選投票で、吉田茂氏が首相に指名されたのが2例目です。
重光葵氏は、戦前は平和外交に尽力し、敗戦直後には、日本政府の首席全権代表として降伏文書に署名した人物ですね。
日米安全保障条約が発効した翌年の国会での出来事でした。
3例目 (1979年,昭和54年)
自由民主党内の権力闘争による内紛(いわゆる「40日抗争」)のため、大平正芳氏と福田赳夫氏の、自由民主党の議員同士の決選投票となり、わずか17票差で大平正芳氏が首相に指名されたのが3例目です。
40日抗争というと、政界の暴れん坊こと浜田幸一氏を思い出しますね。当時は、自民党本部ビル内で暴れている浜田氏の映像がよく流れていました。
4例目 (1994年,平成6年)
日本社会党の村山富市氏と無所属の海部俊樹氏の決選投票で、村山富市氏が首相に指名されたのが4例目です。
自社さ政権が誕生したときの出来事でした。
衆議院と参議院での微妙な違い
また、首相指名選挙については、衆議院と参議院で微妙な違いがあるのですよね。
例えば、衆議院の議長は首相指名選挙で投票しますが、参議院の議長は投票しないとか、衆議院の開票結果は事務総長が報告するのに対して、参議院では議長が報告するといった違いがあります。
また、衆議院では、「○○君を~本院において内閣総理大臣に指名することに決まりました」と宣言して選挙が終わるのに対して、参議院では、「本院は、○○君を内閣総理大臣に指名することに決しました」と宣言するという違いもあります。
こうした違いがなぜ生じたのかはわかりませんが、長く変わっていませんね。
変わらないこと・変わったこと
また、変わらないと言えば、「首班指名選挙」という言葉も変わらずに使われています。
これは、旧憲法で内閣総理大臣が「各大臣の首班」となっていたことの名残と言われていますが、現憲法に変わって80年近く経っても変わらずに使われているのはすごいですよね。
一方、変わったところもあります。
以前は行われていた首相指名選挙のあとの異議なし採決(議長が「ご異議ありませんか?」と確認する方式でする採決)が、途中から無くなっているのですね。
恐らく、「国会の議決で、これを指名する」という憲法の条文に従い、合議の形式を採っていたと思われますが、無駄と言えば無駄ですし、異議が出ると面倒ということもあったのかもしれません。